昭和41年03月31日 夜の御理解
この度の御本部参拝のおかげを、二日間にわたっての学院入学の試験も無事に終わらせて頂き、もう本当に私一人の為の試験のような感じの試験でした。もう別に試験勉強もしていってなかったのですけども、本当に私が持っているもの、そのまま出せばよいと言う様な感じの試験でございました。面接試験に至っては、いよいよそれを感じたわけですけども、まぁあのどう言う様な結果になりますかは、私の体の事と睨み合わせてから入学をお許し頂く、頂かんは決まわけでございますけれど。
何とはなしに大きな獲物を射止めたという感じ、まだ分からん。いってみるとですね、当たったか当たらん、分かるんですよね。手応えがあるんですよ。そういう何か大きなものに、そのいい当てたなぁという、その手応えだけは感じました。ですからどういう結果になるか、どういう大きな獲物が、いやその与えてあるか分かりませんけども。何と言うても、私この度の御本部行き、いつもありよる御本部参拝が中心でございますから、ぜんぜん二日間の、もう二日目の午後二時頃終わりましたから。
一日遅れて渡辺先生が参拝して見えました。私は是非金光の二つか三つ前の倉敷という所があります、そこに素晴らしい大原さんのコレクションがあるんですね。美術品のコレクションが。そこを見せたいというので丁度その二日目の朝着かれました。本当に椛目の人達は、皆心臓が強いものですから、皆試験場に学校に来てしもうとるてですもん。私が隣で試験を受けよる、その隣に来てからずうと、皆んな一緒に受験する人かと、先生方が思うたらしい。
又は先生が付き添って見えておるかと思うておるかと、後から皆言うておったらしい。皆一緒にありますもんね。そんな訳でございましたが、もう時間がなかったから、もうハイヤーで倉敷に参りました。そして私は、本当にもう驚きました事は、倉敷の町全体がですね、何ともいえん雰囲気の町であることですね。何と言うでしょうか、第一目立って感じた事は、市内に自動車が少ない事ということですね。
もうおっとりした町です。だからもう商売で沢山人はいますけど、儲けんならんという感じの商売人がいないという事です。もう本当に倉敷の町全体を、町民全体が守っておるという感じですね。勿論、あれはその家を一つ扱うでも、許可がないで扱われないそうです。そういう保存なんかの出来ているのでしょうね。観光の事で住まいがそうなんです。見事な町ですね。
そんなかにあの沢山の荷物がありましたから、茶房がありましたから、そこに荷物を全部預けて頂いて、そこなんかのもう雰囲気の素晴らしさ素晴らしさ、段々お土産話に話しましょうけども、兎に角素晴らしい所でしたが、それからいわゆる問題の大原美術館を見学させてもらいました。そして最後に倉敷というあの旅館がございます、これはもう大変有名な、家全体が何と言うでしょうかね、民芸調で出来ているんですね。それが何ともいえない。丁度そこへ参りました時は、夕方のいわゆる人もち頃です。
もうお客さんもバラバラあって、まぁ言うならば、あぁいう水商売は忙しいという時分に丁度いったのですから、これはもう見せてもらえるだろうかと思ってました。けれども、まぁあの休憩をさせてほしいと、茶一服で休憩させて頂いて、そしてこちらのお家を見せて欲しいという申し出をさせて頂いたら、快く聞いて下さった。もう女中さんが案内して下さり、途中からは、そこの奥さんという方が案内して下さったが、もうそれこそ心行くまで堪能する位に、説明して下さったり見せて下さった。
只残念だったのは、もうお客さんが入っておられますから、その部屋部屋五、六つありましたが、それをお見せ出来なかったのが残念でございました、と言っておられましたが、もうそれは、お茶ひとつお薄を頂きましたが、もう茶碗一つ一つが、とても五百円から千円で買えるという茶碗でないですもん。それは途中で出て、それは勿論あの、そうした休憩又は御茶代は払わしてもらうべきだと思っておりましたが、渡辺先生が言いよりましたがですね、それをどうしても取られんとですよね。
それがお金を見せたけん、貰いたいばってん貰わんというのじゃあなくてですね、貰わないと決めてあるようです。もうそれがですね、心行くまで実に親切に、もう一部屋一部屋案内して下さり説明して下さってね、そんな事頂戴致しませんと、又おいで下さいという様な事なんです。私は、そうイう親切な雰囲気の中に、いよいよ私は今度のお土産は、これが一番でした。これは椛目の御広前全体にね、本当にこうイう一つの雰囲気を作らなきゃあいけんという事でした。もうその旅館全体が素晴らしいですよ。
もうですから、どんなに素晴らしいものよりも何よりもお土産は、そういう心情に触れてきた事。それがお土産話に出来る程のものであった事が、一番私はさっき申します、言い当てた、その手応えだけはあったという、これが第一のお土産ですけどもね、第二のお土産は、倉敷のこの旅館に参りましてから受けた、その言うなら、まぁなんて言うですかね、ひとつの感激ですよね。もうこれは私一人ではありません。
皆それを感じております。言うならですよ、ね、堂々と、まぁ紹介状を持って行くなら兎も角ですよ、私と渡辺先生と末永さんとそれと、久富繁雄さんと高橋さんですから、どう見ても素晴らしい連れ合いじゃないですもんね。それに対して、実にもうとにかく人の良いとか悪いとか、老若男女とか身なりが良いとか悪いとかで、人間を区別してはならないと言う事ですよ。もう本当に、そしてもうそうさせて頂くべきだという風に思い込んである事ですよ。
例えば御広前に、新しい信者さんがお参りになられたら、これだけの事はすること当たり前と思い込んどかにゃ。もう兎に角もうそういうものを、与えられる内容ですね、お広前の内容に、その家の中心が素晴らしいのでしょうから、これはいよいよ中心である御広前の、私の中心の信心がいよいよそういう所に、神経の行き届いた所の信心になる。ここでおらげを受けておる、修業しておる方や先生方、家族の者が、もうほんとにそのお茶を出したり、お茶菓子を出したりせろという事ではないけどもですね。
何とはなしに、そういう一つの雰囲気というものをですね、もう又行かにゃおられんのであり、兎に角帰ってから、兎に角あそこの信心の雰囲気が素晴らしい、と言うて信心のなか人までも帰って話せられる雰囲気が、御広前全体にみなぎっておかないといけないという事。そんなものを本当に私は感じて参りましたが、それには本当ですね、何と言うでしょうかね、もうその家全体を自分達が一つの品とか、一つの部屋とかそれを大事に大事にしきってあることですね。
ですからそれを見てもらう事が、もう有難いという気持ちなんじゃないでしょうかと私は思うたんですけれど、自分達が頂いている信心というものが、もうほんとに、こんなに有難い信心を今日初めて参って来た人が、これから頂いていけると思うたら、そういうものを、こう説明したり言うてあげたり雰囲気で、その見せたり聞かせたりする事が、有難いというものでなくてはいかんと思うね。只もうガリガリの、只信心をおかげ目的の、おかげ、おかげだけのものでなくてですたいね。
信心頂いておる者の内容価値というものがです、こう自ずと溢れる様なものになってくる、おかげを御広前全体に頂きたいなぁと、そういうものを感じて参りました。御祈念後に、久富先生に、その事を一番のお土産でしたから、そのことをさっきから夕食のときに聞いてもらったんですけれどね、本当にこれはもう一段信心を、本当の信心を目指させてもらう。こういう信心がです、言わず語らずの中に、御広前全体にみなぎっておるというもの。そういうものがしかも一人一人の上に感じられるという事。
例えばそのお供えをしたとか、しないとかといったものじゃあない。身なりが良いとか悪いじゃない。器量が良いとか悪いとかじゃあない。自分の好きとか嫌いとかそういうものじゃない。もう信心でそうさせて貰わなきゃ、せずにはおられない。その態度をとらなきゃおられないものが、椛目の全体の中にですね、家族の者は言うに及ばず、もう信者さんの全体の中にあぁいう、その倉敷の町全体を倉敷の町民の全体の人がです、何かその大事にしておられるという、雰囲気を初めて行って感じてきたんです。
信者全体が金光教の信心を大事にしておる、御広前を大事にしておる、家族全体の者がその信心の姿というものは、あぁいうものかと言った様なものをです、私共が目に焼きつけなければ駄目だと。そして倉敷の町全体のものが、町を大事にしようという愛町精神に燃えているものがです、それを思い込んでいるという、そうせずにはおれないんだという事。ほんとに御広前を、もちっと大事にしなくてはいけないという事。御広前に対する愛情が欠けておる。
本当に例えばもう下駄一足並べてある、並べ方から中ですよね、もうほうき一つ使い方の中からですよ。先程家内に申しましたが、本当に椛目のお炊事場に入らせて頂いたら、もう襟を正す様なものを感じるというものがです、何かそこに信心の匂いと言った様なものが、あふれていなければいけない。為には本当に包丁一つ握らせてもらうにでも、野菜一本作らせてもらうでも、信心になりきらなければ駄目だと、そういう意味のものを感じて私は帰って参りましたんですけれどね。
どうぞ新しい御広前に移転して行くならもうなおさら、そういうものを一つ本当に持って御広前だけは立派だけど、中に住んでおる人は冷淡だとかろくそなかとかね、信心ではないとかと言った様な事では、もう本当に、これは神様に対しても相すまん事になる。倉敷という、その旅館が素晴らしいだけでない、そこの主人が素晴らしい、女中さんが素晴らしい部屋全体が素晴らしい。
もう柱一本一本が素晴らしい、というだけでなくて、中に住んでいる人の魂が素晴らしい。その民芸調の旅館のそれにふさわしい人達が、その経営をしておられるのであり、その下に住まってあるのであるという事がです、もう私には第一のお土産でしたが、信心のある者の本当にここのところを、信心をもっと本気で信心を身に付けなければ、あぁいう雰囲気は生れてこない。形だけではいけないという事なんですよね。
どうぞ。